異質の衝突が生み出すケミストリー

執筆者
谷 知己 (Marine Biological Laboratory, Associate Scientist)
留学先
ハワイ大学パシフィックバイオメディカルリサーチセンター(アメリカ)

「留学によって得る“仲間”という宝物」というテーマをいただきました。私はいろいろな人たちと積極的に仲間の輪を広げていくのがそれほど得意ではありませんが、研究を進める上での仲間の大切さについては、自分の経験で得た確信とともに、いくつかお話できることがあります。

私はマサチューセッツ州、ケープコッドのウッズホールという海辺の村にある、Marine Biological Laboratory(MBL)という研究所で仕事をしています。偏光という光の特性を利用して、タンパク質1分子の構造変化から、脳神経の活動まで生きたまま観察できる光学顕微鏡を作り、様々な生命活動を可視化する研究をしています。今から17年前、日本で学位を取った年の4月からハワイ大学に留学しましたが、その2年後には日本に戻り、以降10年間、東京都臨床医学総合研究所(現・東京都医学総合研究所)と北海道大学で研究と教育に携わっていました。この10年間、私は生物用光学顕微鏡の技術開発をしていました。それはやりがいのある仕事でしたが、私はもともと細胞の走性や植物の生長など、外界の刺激で細胞の運動や極性が制御される仕組みに興味を持つ生物学徒でした。自分の蛍光1分子観察技術を駆使して、このような生物学に戻りたいと思っていたのですが、それにはよい場所と時間、そして仕事仲間が必要だと考えました。そんな折に、MBLでライブセルイメージングの独立研究者を公募しているという話を聞いたのです。

ウッズホールのMBLは変わった研究所でした。夏には、世界中から様々な研究バックグラウンドを持ち、様々な生命科学に興味を持つ研究者が集まるのです。誰もがMBLの研究者になることができます。いろいろな研究背景、キャリアを持つ人間が集まることによる、異質なもの同士のencounterが、数々の革新的な生物学上の発見に結びついた歴史がMBLにはありました。私は2009年の夏に審査のインタビューを受け、2010年の4月に家族でウッズホールに移りました。

北大からMBLに移ることは、生活上の決断でもありました。通常MBLの研究者たちは、自分の給料の大部分を、自分の研究グラント予算に計上します。当時DirectorだったGary Borisyから提案されたスタートアップサポートでは、研究グラントを持たない私の代わりに最初の2年は研究所が私の給料を100%サポートする、3年目からそのサポートを段階的に減らし、5年目では50%、それ以降は要相談という契約でした。つまり採用から3年目にはグラントを取りなさいということでした。Grantsmanship という言葉があるのだと、MBLに着任直後の私に、MBL Distinguished Scientistの井上信也先生が教えてくれました。そして私はその道を学ぶことになりました。

私にそれを教えてくれたのは、MBLの同僚Rudolf Oldenbourgと、Dartmouth CollegeのAmy Gladfelterでした。2人ともNIH R01グラントで研究を進めている研究者でした。Amyは毎夏MBLに来る細胞生物学者で、偏光顕微鏡の第一人者である物理学者のRudolfとともに、GFPの蛍光偏光を利用して、セプチンという細胞骨格タンパク質の構造変化を可視化する仕事をしていました。私は、偏光を利用したGFPひとつひとつの分子の向きの観察を日本にいたころから始めていたので、この2人とは、すぐに仕事を始めることができました。

MBLに着任した年の年末にはRudolfとAmyにCo-Investigatorになってもらい、NIH RO1の申請書を書き始めました。最初に出した申請書はパーセンタイルが43で、助成は望むべくもありませんでした。それから4ヶ月間かけて、申請書を書き直しました。RudolfとAmyは私の申請書を丁寧に見て、何度も質問やコメントを返してくれました。私は、彼らの鋭い質問に答えられる申請書に書き直す生活を続けました。その再申請で、幸運にも助成がもらえました。MBL着任後3年目の夏でした。

私が日本で研究費の申請書を書いていた折にも、研究分担者や研究協力者として名を連ねてもらう人たちはいました。けれども私の経験では、共同研究者に自分が書いた申請書を見せて、細かく指摘してもらうことはあまりありませんでした。これに対して、MBLで知り合ったこの2人が、内容も英語もつたない私の申請書を、採用されるレベルに引き上げようとする努力に私は驚きました。また、正直打ちのめされました。毎晩、彼らの鋭い指摘にどう対応してよいかわからず、頭を抱えながらふとんに入り、そして翌朝4時ごろには起きて、リフレッシュした、前向きな頭で対応を考えました。

見方を変えれば、彼らの努力は、共同研究というビジネスを成功させるための、非常に明確なギブ&テイクに沿ったものだと言えるのかもしれません。その視点から考えると、共同研究では自分の視座と専門をふまえて、自分が彼らに求めるもの、彼らが自分に求めるものを、意識の上でも、申請書の文面にも明確にする必要があると思いました。しかし私は、アメリカで研究費申請書を書く上で、日本ではあまり経験しなかった別の効果にも気がついたのです。

私が大事だと思ったもうひとつのことは、異なる研究バックグラウンドを持つ我々研究者同士の、ぶつかり合いといってもよい研究アイディアの交流でした。その中で、私がはじめに申請書を書いた時点では考えてもいなかったアイディアが、いくつも生まれたのです。対等な関係で、このようなぶつかり合いができることは、ともに研究を進める研究者同士の、仲間としての理想的な関係でしょう。

指導教員と学生、教授とポスドクといった関係にある研究者同士が、科学者として対等に渡り合い、主張を交わすことは、特に日本人の我々にはなかなか難しいことかもしれません。しかし、立場は違っても、同じ研究を進める上での仲間なのです。その仲間のあいだで異質な考えがぶつかり合う時にはじめて、新しい科学の発想が生まれるのだと私は確信しています。ぶつかることのできる仲間が大事です。日本を出て得た成果のひとつが、ひとりでもよい、そのようなぶつかり合いのできる仲間(ともに仕事をする教授でも、大学院生でもよいのです)との出会いであったり、あるいはそのようなぶつかり合いを原動力として、新しい科学を切り開く力であるのならば、その成果は、素晴らしいものだと言えるのではないでしょうか。

2015/10/19

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執筆者紹介
NIHの研究費の申請書は、100時間以上執筆にかかるといわれています。英語での申請書について訓練をうけておらず、英語が苦手な日本人研究者がどのように米国でのサクセスフルな申請書を書いていけるか、大変参考になりました。異分野の研究者がコラボで研究費申請書を出しやすい素地が、NIHのグラントシステムにはあるように思います。分野の垣根をこえたケミストリーが、サイエンスのBreakthroughを生み出すのだと思いました。谷さん、ご寄稿頂き有難うございます!(佐々木敦朗)
編集者
Atsuo Sasaki
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