一度きりの人生、やりたい事をやってみよう!

執筆者
岩槻 健
留学先
コロラド大学、マウントサイナイ大学(アメリカ)

12月に入り今年も暮れようとしている。ちょうど人生を振り返る良い機会に、同門の佐々木敦朗君から若者へのメッセージを書いてくれと頼まれパソコンを前にしている。アメリカへの研究留学から帰国して早くも来年で8年になる。現在私は東京農業大学で准教授の職にあるが、ここまでの道のりを振り返ってみたい。

私は普通に受験をして名古屋大学に入学したが、浪人せず国公立の大学に入れたら留学させてやるという両親との約束通りに、大学3年時に一年間米国のコロラド大学の分子細胞生物学および発生生物学科に留学をした。大学3年生というと大学生活も終盤にさしかかり、それなりにしっかりと自分の将来を見据えているべき時期かもしれないが、クラブ活動と留学のための勉強(TOEFLや米国版センター試験のSAT)だけで何とかなると思い渡米した。それが甘かった。

しっかり1、2年を勉強に費やしてきた米国の学生に比べ、私は授業についていくのがやっとで全く余裕が無かった。それでも、日本で受けた授業に比べ米国の授業は新しい事を学んでいるという実感があり、毎晩深夜まで勉強した。受験勉強よりも遥かによく勉強していたように思う。24時間解放している寮の図書館に毎日通い、ルームメイトからはNerd(勉強ばかりしていてつまらない人間)だと思われていたらしい。運良く米国人のルームメイトがいた事や受講していたクラスに日本人がいなかった事で英語漬けの生活となり、帰国する時には下品なスラングも理解できるようになっていた。初めての一人暮らしに加え、日本人のほとんどいない環境下で、しかも日本の大学で脳みそが溶け始めていた私にとっては厳しい環境であったが、学ぶ事の楽しさはもちろん、それまで気づかなかった日本の素晴らしさや家族の大切さなどを改めて感じる事ができ、かけがえのない一年となった。

得るものが非常に多い濃密な留学生活だったが、思い通りにならない事も多く挫折感を味わったので、学位を取ってからまたアメリカに行き勝負しようと心に決めていた。帰国し東京大学で学位(博士)を取得後、東京都臨床医学総合研究所に就職する事となったが、もう一度留学するという思いは変わらなかった。多くの友人や先輩からの「今辞めるともう同じようなポジションはないよ」という優しい助言を振り切り東京都を退職し留学することになる。

留学先では、将来ライフワークになるような仕事を始めたいと考え、ほとんど手の付けられていない分野を選ぶことにした。たまたま出席した学会で味細胞研究が他の感覚研究より遅れている事を知り、今からでもチャンスがあるという感覚が湧いてきた。前回留学した時に、将来何かをするならば自国の素晴らしい文化に関わる事をしたいと思っていたので、味覚は絶好の研究対象であった。そこで将来の目標を「味幹細胞を同定し、その味幹細胞移植により高齢になっても味わい深い人生を送る」とし、味覚研究の第一人者であるニューヨークのマルゴルスキー教授に会いに行き研究計画を説明したところ受け入れてくれる事になった。

当時、味細胞の幹細胞についての情報は乏しく、研究室内にも発生や再生に詳しい研究員がいなかったので、試行錯誤しながら一人で研究を始めた。最初は単純なストラテジーを組み、味幹細胞に発現するであろうマーカーを片っ端から調べていった。幸い、味幹細胞が存在すると予想を立てた場所からWnt関連分子が次々と見つかり、”味幹細胞はWntにより制御されており、Wntが味幹細胞のマーカーとなりうる”という新たな仮説を立てる事ができた。この仕事は私の留学先での処女作となるのだが、その後も味幹細胞の仕事は続いている。最近では、共同研究にてWntの制御下に味幹細胞が存在し、in vitroにおいても味幹細胞が培養できる事を示す事ができた。今後、同培養系を用いて味細胞の分化メカニズムの解析や、味幹細胞移植への応用へと研究が発展すると予想され、自分のライフワークとしての味幹細胞研究が益々面白くなっている。現在はこれらの仕事を海外の仲間と共に進めている。

さて、留学生活は研究が中心だが、自分たちの人生は研究だけではない。留学中にも恋をしたり、失業したり、色々な事がある。私も留学してからの一年間は怒濤の日々で、渡米→結婚(一時帰国)→出産→子育て、という具合に人生の一大イベントが次々に襲って来た。しかし、忙中閑ありで、暇を見つけては美術館巡りをしたり、ミュージカルやオーケストラを楽しんだりした。自分のアパートの面している通りはレストランが多く、ニューヨークの誇るベーグル屋や世界各国の料理が楽しめた。大学間の交流は盛んであったため、ロックフェラー大学やコロンビア大学にはよく遊びに行き、そこで新たな研究者同士の繋がりもできた。ある時、ニューヨーク大学の会に参加したが、友人から味の素(株)の課長を紹介された。それが縁で、4年数ヶ月におよぶ2度目の留学に終止符を打ち、帰国して味の素(株)の社員として働き始めることなる。同社では6年半にわたり世話になり、味覚および内臓感覚研究に没頭させてもらった他、企業研究とは何かという事を学ぶ事ができた。

最近、縁あって教職に就いた。振り返ってみると、産学官を運良く経験する事ができた数少ない人間になっていた。どの職場も一長一短あり、どこが一番とは言い切れない。結局『自分がどういう人生を送りたいのか』という事につきると思う。私の現在の職は、教育と研究をバランスよくこなさないといけないので、教育が嫌いな人には向いていない。私は授業をしたり、若い学生と実験をするのが好きなので、この職業は天職だと思っている。流れるところに流れ着いたという感じもあるが、人生はまだ折り返し地点くらいである。これからもどう変わっていくか分からないが、どうなっても一度きりの人生、自分にとって興味がある事を一生懸命やっていきたい。人生は一本道ではない。やった事には納得できるが、やらなかった事には悔いが残る。若い人達よ、失敗を恐れず未知なる世界へ飛び込んで!

2015/04/19

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編集後記
岩槻健さんは、1996年に東大の獣医生化学講座から、当時久留米大学におられた吉村昭彦先生のラボへ国内留学されました。1997年4月から東大に戻られる7月までの間、私を指導して下さいました。僅か3ヶ月でしたが、岩槻さんが常にチャレンジされ、厳しくご自身と向き合っておられる姿から、私は多くを学びました。公務員という将来の安定が約束されたポジションから、ライフワークとなる研究を築くために留学されたお話。そしてアメリカと日本、産学官でライフワーク研究を中心としキャリアを築いてきたお話は、研究者としての姿勢を常に自問し続けることの大切さを物語っているように思います。岩槻さん、ご寄稿頂き有難うございます。(佐々木敦朗)
編集者
Atsuo Sasaki
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