留学に消極的だった私の留学記録

執筆者
井上 梓
留学先
ハーバードメディカルスクール(アメリカ)

「若者よ、人生は一度だ。世界で活躍しよう!」というテーマであるが、私もまだまだ若者なので人生を語れるほど経験豊富ではない。そのため私からは、もうすぐ4年が終わろうとしている自身の留学を振り返って、その記録をわずかながらお送りするとともに、「世界で活躍」するための条件を一つだけ挙げたい。

私は学生時代から研究は大好きだったが、日本が好きでずっと日本で研究していたいと思っていた。海外旅行や洋画に興味はないし、ましてや海外への引越しなんて考えただけで億劫だったので、留学は消極的であった。研究生活は日本でも充実していたし十分に楽しくやれていて何も不満はなかった。先輩方の留学体験記を読んでもあまり興味は湧かず、そもそもこのような留学お勧めキャンペーンは何なんだ、どうせ留学体験記とかって海外で成功をおさめた人が書いてるんでしょう、そんなに言うならとりあえず失敗談も聞かせてくださいよ。私は当初、研究留学に対してこのような感覚をいだいていた(さすがにここまで卑屈ではなかったと信じたいが)。読者の中にもこういうタイプは少なからずおられるのではなかろうか。

しかしこのような価値観を覆してくれた先輩に出会えたことは私にとって幸運だった。その先輩は留学を希望しており、「海外で暮らしてみたいと望んでも叶わない人はたくさんいる。それができる人間は限られていて、研究職っていうのはそんな限られたチャンスがある職業だ。」というようなことを力説してくれた。当時の私は割合素直だったので、これを真に受け留学を意識するようになった。そういう意識を持っておくと思わぬ話が舞い込んでくるものである。とある学会で知り合いの先生に、米国ノースカロライナ大学のYi Zhang 博士がマウスの卵子を扱えるポスドクを探しているとの情報を得たのである。そこからは話が早くD2の終わりに留学が内定し、期待と不安が入り交じったまま日本での最後の1年を過ごした。不安の感情は、とりあえず3年間頑張ろう、それでダメだったら日本に帰ってまた一から頑張ろう、と思うことで打ち消した。

アメリカに来て、予想していたよりも大変だったのは、アパート、携帯電話、インターネットなどの契約をはじめとした家のセットアップであった。アメリカではこのようなときに電話でやりとりすることが多く、英語での電話が苦手な私にとっては大きなストレスであった。半泣き状態でようやく約束を取り付けたと思っても、彼らは平気ですっぽかすのである。彼らを動かすには2度や3度はプッシュしなければならないことを学んだ。メールの時でも向こうが動くまで何度でも同じ内容を送り続けるとよいようである。日本では非常識な行為だが、アメリカではこうでもしないと割を食うのはこちらである。どうりでボスはポスドクに何度も何度もしつこく同じことを言うもんだ、と妙に納得がいった。さらに大変だったのがアメリカ国内での引越しだった。留学2年目に研究室がノースカロライナからボストンのハーバードメディカルスクールに異動することになったのだ。一ヶ月以上実験ができないだけでなく、やはり生活面のセットアップを一からリスタートせざるを得ないのが辛かった。様々な契約をはじめ、地理感もない、生活のリスタートだけでなくラボもセットアップしなければならない。あの2ヶ月は私の留学生活の中で一番ストレスを感じた時間だった。

さて、不安に思っていた研究面であるが、幸いにして今のところ順調にいっている。世界中から集まった優秀な同僚のおかげである。「あぁこれが天才か」と思うような彼らとのディスカッションから、一人ではとても思いつかないような仮説が生まれることがあるのである。特に私の所属研究室は、発生以外にも生化学、幹細胞、バイオインフォマティクス、そして脳まで様々な分野のポスドクがエピジェネティクスの旗のもとに集っており、彼らとのやり取りは自身の研究の視野を広げてくれる。このような仲間との出会いは、留学の最大のメリットであろう。

一方で、当たり前だがポスドク全員の研究がうまくいくわけではないことも事実である。うまくいっている人に共通する資質として感じるのは、自分主導で研究する経験を十分に積んでいることが挙げられる。学生時代から自分で手を動かし、あるいは論文を読んで感じた疑問を、検証可能な疑問に落としこみ、実験を計画・遂行し、結果を解釈し論文を書く。もちろん指導教官の助けを借りながらであるが、この一連の作業を自分主導で実践した経験の重要さを感じる。学生時代に掲載された雑誌のIFなどそこにはほとんど関係ないように思う。専門誌でもしっかりした仕事というものはしっかりと身に付くし、人に伝わるのである。逆に教官に言われるがまま、あるいは研究室の歯車の一つとして実験して一流紙に出しても本当の実力はつかない。簡単に言えば、君がアドレスしている疑問は、自分が知りたいのか、それともボスが知りたいのか、ということである。研究者を目指すなら絶対に前者であるべきだ。後者ではうまく行かないときにボスに責任転嫁できてしまうのでモチベーションも維持しにくいし、踏ん張りどころで熱意が不足する。なにより論文になった時の喜びが10倍違う(当社比)。研究者を目指す学生には、自分の研究テーマを「自分主導の研究」と強く意識して、しっかりと自分の頭で考えて自分で実験を組み立てる訓練をすることをお勧めする。ボスの頭に期待しないで済むくらいになれば、「世界で活躍」は目前である。

最後に留学して良かったかどうか、という質問には胸を張ってイエス!と答える。そもそも留学したことを後悔している人を私は見たことがない。上述したようにいくらかのストレスはあるが、それを補って余りあるメリットがある。留学は研究で成功した時の見返りが大きいだけでなく、研究面での成否に関わらず、日本にいたら出会うことのない仲間との交流、英語の(ある程度の)上達、そして家族と過ごす時間、これらは間違いなく手に入る。まだ若ければ仮に研究で成果が出なくても挽回できるはずだし、職なしで帰国した人を聞いたことがない。留学経験それ自体が自分の価値観を広げ、人生の財産になる。留学はたった一度の人生を謳歌する最高の方法だと思う。研究者は留学できるチャンスがある限られた人間なのである。そのような職業に就いたことに幸せと誇りを感じて、恐れることなくチャレンジしてほしい。

2015/04/19

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執筆者紹介
ハーバードメディカルスクール所属。ポスドク研究員。2011年3月東京大学にて博士号取得(青木不学教授)。同年4月よりノースカロライナ大学チャペルヒル校のYi Zhang教授の研究室に留学。2012年より日本学術振興会海外特別研究員。2012年9月にハーバードメディカルスクールに異動。マウスの受精卵をこよなく愛す。卵研究に新たな切り口を見つけようと試行錯誤中。
編集後記
井上さんの描かれているアメリカでの生活のセットアップの大変さに共感します.日本では考えられないことがアメリカでは起こります.その時に引いてしまってはダメでそこからプッシュしまくるのがアメリカ流(世界標準?)ですね.研究面について,アメリカではコラボレーションがとにかく活発で,そこでたくさんの優秀な人材と出会う機会があるのは海外留学の大きなメリットだと思います.
編集者
本間 耕平
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