留学のメリットとデメリット

執筆者
辻村 太郎
留学先
EMBL(ヨーロッパ分子生物学研究所)(ドイツ)

私は2009年5月から丸5年間ドイツにあるEMBL(ヨーロッパ分子生物学研究所)にポスドクとして留学してきました。今回、留学のメリットとデメリットというお題をいただき慣れない文章を書いています。期待されているのは、ターゲットとすべき若い方々に、私の味わった酸いも甘いもリアルな留学の体験を伝えよ、もしくはキャリアを振り返って留学の損得勘定してみよ、といったところでしょうか。

自身の留学を振り返って、何よりも真っ先に思い返すのは、残りの契約期間が短くなる中で「この後どうする?」と焦る自分でした。外国にいることで難しいのは、契約が切れると原則としてそこで滞在ビザも切れるので、そのときまでに次の仕事先を決めないと今の居場所がなくなることです。結局、幸運にも現所属への赴任が決まり精神的な落ち着きを取り戻しましたが、そうでなかったら、ビザ切れで日本に引っ越し→就活→またどこかへ引っ越し、となるところで、これは無理には想像したくない状況です。

そもそも就活それ自体に、外国にいることならではの大変さがあります。私の場合はまずは帰国を念頭に、日本の大学・研究機関等いくつかのところに応募しましたが、やはり海外からの応募には制約が大きいと感じました。日本への応募には多くの場合書類の郵送が(なぜか)必要ですが、日本からの送付とは違ってそれにはお金も時間もかかります。大抵の場合これらの応募はかすりもしませんので、これを続けていくのはなかなかつらいものがあります。

さらに言えば、自分があまりにも日本のアカデミアで無名のまま過ごしてきたことを痛感したのも就活に際してでした。応募書類を懸命に書いて、自分では最高に面白いと思う研究計画を作ったとしても、それが採用者の方に伝わらないといけないわけですが、やはり書面での伝達には限界があります。それこそビッグジャーナルに論文が出ていればCVで一目引くのは確実でしょうが、私の場合は残念ながらそうはいかなかったので、筆力で勝負するより他はありません。これが少しでも自分の名前を知っている先生ならば目に留めてもらえるかもしれないのに、と無い物ねだりの気持ちにもなったものです。

私の場合は、次の職場を探し始めたのが2013年の10月頃でした。それを見越して、その年の3月には研究室ボスの勧めもあって日本でミーティング・セミナー行脚をさせてもらいました。このとき訪ねた先生方には今回帰国した後もご挨拶をさせていただくなど、長期的には非常に有意義なものとなりましたが、就職のためのコネ作りとしては厳しいものでした。(そもそも訪ねた先で募集がないと何ともなりません。)やはり、1年間じっくり時間をかけていくつもの学会に参加して、できるだけ多くの研究者に会わないとどうにもならない。ただ、これもやはり海外にいる一介のポスドクの身としては難しいです。

私は大学院では、分子進化を研究している東大・新領域の河村正二先生の研究室で、ゼブラフィッシュ視物質遺伝子をモデルにして、遺伝子重複に伴う発現制御機構の進化について研究しました。その研究を通して、ゲノムのコンテクストと遺伝子発現制御の関係に興味を持ち、EMBLのFrançois Spitz研究室に行くことに決めました。私が参加した頃、Spitz博士(スピッツじゃなくてシュピッツです、念のため)はHoxd遺伝子群の制御機構で有名なスイスDenis Duboule研究室でポスドクとして業績を挙げた後にEMBLで研究室を立ち上げたばかりでした。非常に野心的で、大きな欠失・重複・逆位というゲノム構造変異を、それこそゲノムワイドに導入することでゲノムのコンテクストの機能を解明しようと意気込んでいたところで、私もそれに加わりたいと考えました。

留学中いくつかのプロジェクトを進めましたが、中でもメインはTfap2cBmp7という進化的にたまたま隣り合うことになった2つの発生遺伝子からなる遺伝子座の制御機構を解き明かすというものでした。その成果はようやく最近になって論文になりましたので、興味をいただいた方にはぜひご一読いただけると幸いですが、当初はほとんどゼロからのスタートで、ストーリーの骨格ができるまでいかんせん時間がかかりました。元々の仮説は、Tfap2cBmp7の発現パターンが類似しているので、両遺伝子がその隣接により統括的に制御されるに至った、というものでしたが、長い年月(今でこそCRISPR/Cas9システムで大きく短縮化できそうですが、、、)をかけてマウスに人為的なゲノム構造変異を導入して分かったことは、(1)むしろ2つの遺伝子の間にはクロマチン高次構造レベルの分断を担うバリアーがある(2)しかしなおかつ2つの遺伝子の間には統括的な制御がある、という予想外に複雑なモノでした。これが見えてきたのはようやく2013年の春から夏にかけての頃です。そういうわけで、その直前の3月に日本に帰国した際には不十分な骨子をもって自分の成果をアピールし、やっと話が見えてきたと思ったらすぐに就活の書類作成ということで、じっくりコネを作ろうなどとは言っていられない、なかなかハードなスケジュールとなりました。

ということで、留学を私のキャリア形成という面からまとめると、日本での所属コミュニティが大学院時代は進化系、もしくは小型魚類界隈だったのが、留学を経てエピジェネティクス、哺乳動物系の研究者にマイナーチェンジして、その間、成果はなかなかまとまらずに碌に学会にも参加してこなかった、というものです。研究者としての自分にとっては幅を広げ経験を深めたポスドク時代でしたが、日本のコミュニティでのプレゼンスという点ではマイナス面も否めません。そして恐らく多くの海外ポスドクもこのようなキャリアを辿るのではないでしょうか。

何となくマイナス面の列挙が続いてしまいましたが、ついでにもう一つデメリットを挙げるとすれば、日本人であればその家族は基本的に日本に基盤を持つということです。年老いた両親がいればその老後はどうなるのか、パートナー・配偶者がいればその仕事はどうするのか、というのは些細な問題ではありません。留学をしないという選択をした人のうちむしろ自分以外のファクターでそう決断した人はすくなくないのではないかと想像します。例えばパートナーが仕事をやめて海外についてきたとして、帰国の際に仕事を見つけるというのは並大抵ではない。特に小さい子供がいた場合、帰国しても共働きではないという理由で保育園にも預けられず、かといって子供がいるので仕事もできないという板挟みになるのは容易に想像できます。基本的に任期付の職にしかありつけない研究者という職業柄、反対に安定した職にあるパートナーを持つことは大きなメリットかもしれません。

では留学にメリットはあるのか?留学とういシステム自体にサイエンスのグローバル化を推進する機能があり、それに貢献できるという側面はあるでしょうか。ただここで考えたいのは、全体にとってではなく、留学した本人の個人的な人生にとってどのようなプラスがあるか?です。

まず確かに言えるのは、海外で生活する・働くということはそれだけで非常に貴重な経験であるということです。それが楽しいことでもヒドいことでも、日本では得難い経験は帰国して振り返ればかけがえのない財産です。私のように日本でずっと育ってきた者にとってはそれこそ毎日が旅行中のようなものでした。幸い研究室・研究所の同僚にも恵まれました。例え将来自分のキャリアがイマイチになって研究者の道を後悔することがあっても、留学それ自体を後悔することはないと思っています。

では肝心の私のキャリアにとってメリットはあったのか?これはまだ今の私にはなかなか答えられません。

英語は苦ではなくなったし、多くの研究者と知己になれた。多様なバックグラウンドの研究者と議論を交わす難しさも重要性も体得できた。私のいたEMBLは文字通りヨーロッパ分子生物学の中心地で、内外の最先端の研究に絶えず触れることができた。研究室選びにおいても、日本という一国にとらわれず世界中の選択肢から一番のところに行けた。また次に海外で働くことにためらうこともなくなった。

一方で研究自体はどこでやっても同じ研究(であるはず)で、「留学」をしたからこそできたものとは(現実的にはそうでも)必ずしも言えない。実際、日本に帰国して分子生物学会に参加しても、まさに世界最先端の研究が日本の各地で行われているのを実感した。そして留学それ自体には先に挙げたデメリットがある。

結局、留学をしたことのメリットはこれからの私のキャリアが教えてくれる、というのが今の私の思うところです。これまでには、2013年3月の一時帰国の際に複数の先生方に時間を割いていただきセミナーのアレンジをしていただきましたし、現所属先の先生方には応募書類を評価していただき採用をいただきました。これも留学をしたことでついた少しばかりの箔が後押ししてくれたのかもしれません。たまたまかもしれませんが、実際これらの先生方はみな留学を経験されています。帰国後に分子生物学会で発表の機会を得て、その後にまた多くの先生方に声をかけていただいたのも、あるいは留学の効果があったのかもしれません。それ以上に、海外での研究経験により視野やネットワークが広がったことが、今後の自分に有形無形に生かされることを期待したい気持ちもあります。しかし、時間も経っていませんので、そうした実感はまだほとんどありません。

留学後すぐに完全に独立なPIポジションに収まっていれば、少なくともキャリアについてはもう少し歯切れの良いことも言えた気はしますが、私に限らず、現状を見れば大多数にとってはなかなかそうはいかず、各人が独自の道を切り開いていくより他にありません。留学の意義付けも、そうした先に初めてできる性質のものだと思います。ということで、これについてはもう少し時間がたってからまた考えさせてもらえたらと思います。

2015/05/19

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編集後記
辻村さんには研究者の就活のかなりリアルな部分を書いていただきました.このような部分をちゃんと出していただけるのは,このコラムで大事なところではないかと思います.純粋にキャリアのためと考えたら,どちらとも言えないというのは私の実感もそうです.ただ,ご自身もおっしゃられていますが,自分の成長を考えたときに「留学」自体をやって後悔することはないように思います.
編集者
本間 耕平
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