東北大学
神谷 英美子
2021年は、なんかすっきりしない新年の幕開けでした。新年早々、新型コロナウイルスやアメリカ大統領選挙の混乱など、暗く不安になるニュースが多かったせいでしょうか。そんな中で、CDC(アメリカ疾病予防管センター)の名前を耳にされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。皮肉にもこのパンデミックのお陰で、日本の家族や友人に私の仕事先をようやく覚えてもらえたみたいです。ここでは、新型コロナウイルスについての見解や専門的なお話しは控えさせていただきますが、代わりに去年私が携わったコロナ対策の体験談を書かせてください。公にされている情報や発表済みのデータも含みますので、私の経験が皆さまの新型コロナ対策の参考になればと思います。
「CDCは国際政府組織ですか?」とよく聞かれるのですが、アメリカ大統領の指揮の下に設置されている連邦政府の感染対策を重視した研究機関です。
感染症に国境はなく、「アメリカ国民を守るためにも海外での感染対策も必要」という考えから中国や韓国を含む提携国62ヵ国に拠点を設けて感染予防抑制対策などを行っています。
また、日本などの常住していない国々でも、政府からの要望があれば、臨時にアメリカ大使館などに拠点をおいて活動を行うこともあります。そのため、国際政府組織と間違われやすいのではないでしょうか。
また、CDCが発表するガイドラインや情報が、世界標準としてよく参考にされている点も、勘違いされる理由かもしれません。
どれくらい世界で情報が共有されているかというと、去年CDCが発信した8,345件にのぼる新型コロナウイルスに関する情報は、世界中のメディアで28億回以上共有され、CDCのオフィシャルサイトには、21億回以上のアクセスがありました。
そう言われても、ピンとこない数字ですよね。日本の人口(1.2億人)の20倍の人がCDCのサイトにアクセスしたり、メディアで取り上げたと想像してください。相当な数ですよね。CDCの拠点でない日本でも、ニュースなどで名前を耳にしたとしても不思議ではないですね。
私が担当した新型コロナウイルス関連の最初の任務は、空港での水際対策でした。
空港での検疫の強化が始まったのは1月18日頃、ちょうど私が日本に一時帰国する週末でした。少し雲行きが怪しいなと感じてはいましたが、まだ危機感は薄く、アジアでの封じ込め政策の成功を信じていましたし、日本での仕事や家族に会うのが楽しみで、一時帰国を選びました。
まさか帰国中に、CDC本部に緊急対策本部が設置され、アメリカの初感染者が確認されるなど、こんな大騒ぎになるとは。予定通りに日本での仕事を無事に終え、再渡米した後、暫く隔離生活をしてから空港で検疫医をしました。
その頃には、既にアメリカの各地で感染者が確認され始めていました。ニューヨーク市内では、3月1日に初感染者が確認されると瞬く間に感染者が増加。月末までには一日300人以上の死者が出るようになり、犠牲者の増加の勢いは止まりませんでした。
国際線ターミナルにある検疫所で帰国者を対象にスクリーニングをしていると、息苦しさを訴えた乗客を乗せた飛行機が国内線ターミナルに到着するという連絡がくるようになり、ターミナル間を走り回ることが多くなりました。感染の疑いがある渡航者を病院に緊急搬送しようとしても、重病患者以外は検査さえ受けさせてもらえません。空港近隣の医療提供体制を整える前に第一波が来てしまい、深刻な状況に陥っていたのです。
そんな中、空港の検疫医が感染疑いの渡航者にできることは、自宅隔離を推奨して、病状が深刻になったら医療機関に連絡するように伝えるぐらい。そんな任務の限界を感じていた矢先に、入国を制限する大統領令が公布されました。その直後は、海外に住むアメリカ国民が一斉に帰国して空港が混乱したものの、暫くすると帰国者の波も落ち着き、大半の国際便も欠航となり空港も静かになりました。それにともない、政府の対策は、臨時病院の設置や病院船の派遣など、国内の重症者の対応に焦点をシフトしていきました。
初夏には、ある宿泊型サマーキャンプで、260人の子供やスタッフの集団感染が発生しました。それまでは、子供たちの新型コロナウイルス感染のことがあまり知られておらず、感染しにくいのでは、と言われていました。
当時のCDCのガイドラインに沿って、スタッフや参加者は、キャンプの初日から12日前以内にRT-PCR検査を受けて全員陰性でした。しかし、サマーキャンプ開始の3日後には、キャンプの医務室に体調不良を訴える子供たちが殺到したのです。キャンプが始まってから、子供やスタッフが自宅隔離に移行してキャンプ場が閉鎖されるまでは、一週間足らず。そんな短期間で、検査結果が確認できた344人中、76%もの子供たちが感染したのです。
キャンプに参加した子供やスタッフ、その家族や感染者に接触した可能性のある人たちに徹底した濃厚者接触追跡調査を行いました。感染者の病状の確認や家庭内感染の把握、キャンプ開始日から2週間遡ってすべての行動記録を集めただけでなく、非感染者にもキャンプ地の正確な位置やトイレを含むすべての施設利用頻度など詳細な行動調査を行いました。
調査結果をもとに、9月から再開を予定していた学校へ警告することになり、学校再開や家庭内感染に関するガイドラインの作成資料として役立てられました。また、RT-PCR検査陰性証明書の有効期限の期間短縮の必要性も問われました。
8月に新型コロナウイルス抗原検査の簡易キットがFDA(アメリカ合衆国食品医薬品局)の緊急使用許可を得ると、アメリカ政府は、1.5億個買い上げる契約をしました。まず、この検査キットを全米の高齢者施設などの長期療養施設に配布して、施設の利用者と医療従事者が少なくとも週1回の頻度で各施設内での検査が受けられるようにしました。それまで行っていたRT-PCR検査に抗原検査を加えることで、RT-PCR検査結果を待たずに感染者を迅速に把握して適切な感染防止策を行うのが狙いです。
FDAやアメリカ合衆国公衆衛生局などの連邦機関とチームを組み、新型コロナウイルス専門病棟視察や施設長との面談など、各州を週単位で視察しました。ほとんどの施設利用者がすでにコロナに感染していたり、複数の死亡者が出ていた施設もあり、今さらという声も聞かれました。そのころ、新型コロナウイルスの再感染が確認されたので、長期化に備えて施設の利用者だけではなく、医療従事者のメンタル面なども含めて、政府ができる必要な援助などについて話し合いました。
11月からこのコロナ抗原検査を用いた大規模検査を開始しました。感染拡大が続いていた地域の州立大学システムと手を組み、各キャンパス内の体育館や多目的ホールに無料検査場を設置しました。
特に、フロントラインにいる医療者や教員、警察官などには、毎週検査を受けるように呼び掛け、さらに、人々の行動範囲が広がりやすい11月末の感謝祭とクリスマス休暇前後に重点をおいて、症状や濃厚接触の有無とは関係なく、不特定多数の方に拡大して検査を実地しました。
この大規模検査には、無症状感染者の発見や感染状況の把握だけでなく、さらに2つ重要な目的がありました。
1つは、大規模抗原検査がどのように新型コロナ新規感染者の数に影響を与えるのか。もう1つは、抗原検査の簡易検査キットの感度・特異度の試験と、抗原検査をRT-PCR検査に置き換える方法の模索でした。
RT-PCR検査は経費と時間が掛かり、都会と田舎で検査格差があります。簡易検査キットの単価は500円程で、RT-PCR検査に比べると安価なうえ、特殊な技術や機器を必要とせず、簡単に使える利点があります。鼻腔をぬぐった綿棒とクレジットカードサイズの検査カードだけで、15分で検査結果が出ます(写真参照)。RT-PCR検査に比べると感度が劣るのが問題で、検査方法などを変えて検出率を上げられないか研究しました。
RT-PCRの確認検査後、研究参加に同意された方の陽性の検体は、CDCのラボへ送ってサイクル値やウイルス量と抗原検査の偽陰性の因果関係や、新型コロナウイルスのメカニズム解明を進めました。
以上、昨年私が携わった感染症対策の活動になりますが、CDCが行った沢山ある中のほんの一部に過ぎません。その他の対策、最新情報、研究結果などは、オフィシャルサイトをご覧ください。
日本では3密(密閉、密集、密接)の回避を呼び掛けていますが、アメリカの同じようなメッセージ-3W(Wear a mask、Wash your hands、Watch your distance)-をご存じですか?「マスク着用(Wear a mask)」「手洗い(Wash your hands)」「 ソーシャルディスタンス(Watch your distance)」の3Wになります。
「今さらこんなメッセージ?」と日本にいる方は思われるかもしれません。しかし、アメリカでは、目で確認できるほど汚れていなければ手を洗わなかったり、パンデミック前までは、道端でマスクしてる人って、防塵マスクを着けた工事現場の作業員くらいしかいませんでした。パンデミックになってから、入口に消毒液などを置くレストランも増えましたが、日本のような清潔なおしぼりや手ぬぐいといったサービスはありません。アンチマスク派の人たちがまだまだ沢山いて、そんな人たちの中には、「感染るほうが悪い」「感染りたくなかったら外出するな」なんて自己中心的な主張をする方もいます。
「人に感染させないように」と人を思いやる気持ちや、良い意味での同調圧力などの日本のお国柄は、このようなパンデミック時には好循環を生み出しているのではないでしょうか。また、「国民が結束して理解と協力しなければならない」という意識が高い日本に対して、アメリカは、大統領選混乱や人種差別問題による社会の分断が目につきます。政治に熱心なアメリカ人は、日頃の行動や生活意識も政治色が強く表れることが多いのですが、今回のパンデミックに関しては、個人がどの派というよりも、州や地域が赤(共和党)か青(民主党)で、マスク着用やワクチン接種に対する考えが違うように思います。
これまでは、出向先の州の色なんて全く気にならなかったのですが、特に大統領選挙の投票日や混乱時は、出向く前に州や地域の色を調べるようになりました。調べ忘れた場合でも、降り立った空港で離陸を待つ旅行者や空港職員のマスクの着け方・素行・混雑具合などから自ずと察しはつくのですが。日本でも感染の拡大が問題視されていますし、海外に居る日本人には分からない、日本固有の問題があると思いますが、アメリカに比べて感染者や死者数とも格段に少なく食い止められているのは、このような背景に基づく国民性の差が大きいのではないでしょうか。
最後になりましたが、海外で活躍している「日本人のエッセンシャルワーカー」と聞いて、どのような方を思い浮かべますか?アメリカの病院で働く医療者?あるいは、ヨーロッパの大学で働くウイルス研究者でしょうか?アマゾンなどの配送業や工場で働く作業員を思い浮かべた方は、あまりいらっしゃらないかもしれません。
最近になって、駐在員の友人が代表を務める日系の工場が、よく使用している検査キットのプラスチックの部分を製造していることを知りました。一時的に日本に退避する駐在員や感染予防のために操業を停止している工場がある中、アメリカに残ることを決め、有する技術を駆使し、昼夜を問わず機械をフル回転させて検査キットの部品を作り続け、国民へ届けているそうです。彼らこそ、アメリカの感染予防対策にはなくてはならない真のエッセンシャルワーカーではないでしょうか。
日系企業がアメリカを、アメリカ国民を救うという重責を担っていると知り、日本人としてとても誇らしく感じました。感染拡大阻止の背景には、想定外に多くの海外在住日本人や日系企業が貢献しており、国境を越えてさまざまな形で関わっているのでしょう。この感染症には国境は関係ありません。自分が住んでいる国の感染予防対策に携わることによって、日本の感染拡大阻止にも貢献できるはずという思いを持って日々向き合われているのではないでしょうか。
こんなところにこんなことをしている日本人が海外にはいるんだよ、と知ってもらうだけでなく、私の体験が多少なりとも参考になれば幸いです。日本の未来を担う皆さまのさらなる活躍を願うとともに2021年が去年より良い年となることを祈っています。
写真提供者:タラ ソマーズ及びウィスコンシン大学オシュコシュ校広報課
注:本記事の内容は、私の個人的見解であり、所属する組織の公式見解ではありません。
著者略歴
神谷 英美子。カリフォルニア大学サンフランシスコ校看護学科修士課程(MS)及び博士課程(PhD)、ハーバード大学公衆衛生学系疫学課修士課程(MPH)修了。カリフォルニア州看護資格及び保健師、臨床専門看護師保持。2014年より現職のアメリカ疾病予防管理センター(CDC)研究員、2020年より東北大学特任教授を兼任。 連絡先:emiko@harvard.alumni.edu