東京大学大学院 薬学系研究科 博士後期課程
栗山 摩衣
大学院博士課程在学中にスウェーデンに留学された栗山摩衣さんの留学体験記です。日本とは異なる研究環境や研究への取り組み方など、文化の違いにいろいろ衝撃を受けた様子が描かれています。特にスウェーデンの方々の「We do not live to work, but work to live.」という姿勢には、私もハッと気づかされました。ぜひご覧ください。(UJA編集部 赤木紀之)
はじめに
東京大学大学院薬学系研究科博士後期課程1年の栗山摩衣です。現在、大学院において神経変性疾患の治療法に繋がる研究に邁進しています。
私は2024年の春、カロリンスカ研究所(スウェーデン・ストックホルム)において、Research Visit(短期研究留学)を経験させていただきました。そこで私が肌で感じた日本との違い(研究面、文化面ともに)や、得られた学びを紹介したいと思い、筆を執りました。
私自身は学部時代に「語学留学」は経験したことがありましたが、「研究留学」という形で実際の研究環境に身を置いた経験は初めてでした。そして短期間ながらも、博士1年というタイミングで研究留学できたことは、自らの研究人生ひいてはライフプランを考える上でも非常に有意義だったと捉えています。この記事を通して、研究留学を体験した一学生の視点から、皆様に共有できる部分があれば幸いです。
カロリンスカ研究所のロゴ。煉瓦造りの建物が美しい
スウェーデンでの研究インターン
今回の短期留学の機会は、カロリンスカ研究所(以下、KI)と東大との連携協定(UT-KI LINK)によって、研究者の国際交流促進事業の一環として実現したものでした。東京大学からは、私を含めて9人の学生がKIを訪れ、それぞれ希望したラボにおいて、1週間のインターンを行いました。私は、オートファジーの研究で著名なDr. Per Nilssonのラボに受け入れていただき、神経変性疾患とタンパク質分解についての見識を深めてまいりました。世界トップレベルの研究者たちに囲まれて、その視座の高さに圧倒され、自らの研究を発展させる契機となったResearch Visitでした。こちらの記事では研究内容ではなく、スウェーデンならではの研究環境の特徴にフォーカスして、私がResearch Visitの中で特に印象に残った点を2つ紹介したいと思います。
KIでは研究内容ごとに建物が分かれている
研究者ファーストな環境
日本での研究生活しか知らなかった私には、スウェーデンのラボで目にする全てが新鮮に映りました。それらの衝撃と感動をまとめると、「研究者ファースト」という言葉に尽きます。
例えば、研究者ひいては地球市民全体を守るための危機管理、安全意識の高さが随所に現れていました。一つには、火災への意識が高いためでしょうか、ガスバーナーがクリーンベンチに存在しないどころか、70%エタノールに至っては鍵つきの金庫に収納されていることには驚きました。日本で当たり前と思っていた概念があっさりと覆りました。他にも、セキュリティ対策として研究所の中には何枚もドアがあり、ほんの数メートル移動する度にセキュリティカードをかざす必要がありました。コーヒーを取りに行くだけでカードを5回もかざすことは面倒ではありましたが、研究者が守り守られていることを認識する瞬間でもありました。
また、研究者の健康面への配慮も行き届いているように感じました。このことは、ラボの居室で過ごすうちに気づきました。具体的には、デスクのスペースが非常に広く、一人ひとりの間隔も広く設計されていました。この余裕のある空間により、一人ひとりが集中力を保ちながらデスクワークに打ち込んでいるように感じました。さらに特筆すべきは教授のデスクです。それらは昇降式になっており、時折教授が立って仕事をしている姿も見受けられました。加えて、聞いたところによると、スウェーデンでは働く人の権利として就業時間中に運動しに行くことが保障されているそうです。もちろん研究者も例外ではなく、職場アンケートで「あなたは就業時間中に運動しに行くことができていますか?」という質問が存在するとのことでした。日本では就業時間中に運動しに行くということは大手を振って歓迎されないどころか、権利により保障されるということは俄には信じ難いはずです。どうやらこのような運動習慣の推奨は、スウェーデンの文化に裏打ちされているようでした。実際、私が宿泊したホテルの利用案内の用紙にも、近隣のジムの場所が明記されていました。そのくらいスウェーデンの人々にとっては運動が身近なものであるようです。
ラボ内での時間以外にも、研究とプライベートとの両立も重視されている印象でした。私はラボで一週間過ごすうちに、研究者たちの生活リズムをおおかた掴むことができました。全体の傾向として、木曜日は友人との時間、金曜日は家族との時間であり、早く帰る人が多いようです。加えて、週末へのモチベーションがとても高いことも衝撃的でした。その証拠として、週末の予定や週末何したかを互いに聞き合うこともまたよく見られる光景でした。
こうした研究者のワークライフバランスに関する衝撃について、私がラボメンバーに伝えた時、彼から言われた言葉を思い出します。” We do not live to work, but work to live. ”という言葉にハッとしました。日本に帰ってからもメリハリを大事にしながら、生活全体の中に研究を位置付けていきたいと心に刻みました。
オープンで協調的な環境
さらに印象に残ったのは、協力的でオープンな研究環境です。わずか1週間のインターンの中でも、研究所内のほとんど全ての機械やエリアが共用であることに気づきました。それだけでなく、実験に必要な試薬を分け合うことも日常でよく行われているようでした。
このような研究環境を語る上で欠かせないのは、FIKAのエピソードです。FIKAとはスウェーデンの伝統文化の一つで、友人や同僚とのコーヒータイムのことです。そしてFIKAが週に1回、部局内で公式に開催されています。各ラボが持ち回りでオーガナイズすることになっており、担当のラボはコーヒーやお菓子を用意します。強制参加ではないものの、FIKAの時間になると”It’s time to FIKA.”と実験室に呼びに来る人がいました。みんなが実験の手を止めてキッチンに集まる様子からは、FIKAという文化が重んじられていることが伝わってきました。そして私もFIKAに参加してみて、これは単にお茶をして雑談するという意味合いではなく、FIKAを通して協力しやすい研究体制やお互いに刺激し合う環境が自然に生み出されていると理解しました。FIKA中の会話に耳を澄ませてみると、ラフな会話に始まり、さすがは研究者、話題は移ろい、次に計画している実験の相談を別のラボの人にしている様子も散見されました。このように定期的にコミュニケーションの機会を持つことで、抗体や細胞の分けあいなどで手を差し伸べ合う距離感や関係性が構築されているのではないかと考えました。
部局内でのFIKAの様子
他にも、協調的な研究環境は様々な人々の貢献によって成り立っていると感じました。フロアの中に洗浄室があって、そこにメスシリンダーなどを置いておくと専門の方が洗浄してくださるそうです。また、日本では研究の一連の行程(サンプル調製、データの取得から解析に至るまで)を一人の研究者で完結する場合が多いと感じていますが、スウェーデンでは適材適所の考え方が浸透しており、外注や専門家への委託を依頼することで研究を前に進めているとのお話でした。
このように、ラボ内外を問わず会話を重視している点や、分業が進んでいる点などから、協調しつつリソースや知識をシェアするオープンな環境のもとで研究が行われていると感じました。
おわりに
今回のResearch Visitを通して、私は世界において自らの研究を鳥の目で見ることができただけでなく、スウェーデンでの研究環境を体験するという何物にも代え難い経験をさせていただくことができました。この経験は血肉となり、研究者の卵としての私を確実に支えています。実際に、帰国してからは現地でいただいたコメントに着想を得た検討をしてみたり、タイムマネジメントの面で試行錯誤したりといった行動を起こしています。
また、異国の地で過ごす中で、この先の研究者としての自らのキャリアについても思い描きました。このように、普段置かれている環境を離れて見えてきたのは、一番身近な存在であるはずの自分自身でした。
童話『青い鳥』において、チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探して旅に出ます。結局二人は探していた青い鳥を見つけることなく家に戻りますが、青い鳥は最初から家にいたことに気づくというお話です。では外に探しにいったことは無駄だったのでしょうか。私は、方々を探しにいったからこそ、家の中の鳥に目を向けられたのではないかと考えています。環境を変えることによってはじめて、見つめ直せる自分の姿もあるのだということを今回の渡航から感じました。今後の研究生活においても、外に飛び出すことを恐れることなく、かつ現在の環境にしっかり根を張って、今回見つけた青い鳥(研究者としての自らの理想像)を心に留め、研究成果を残していく所存です。
末筆になりますが、この記事を読まれている皆様におかれましても、海外留学を通して自らの青い鳥が見つかるような巡り合わせがあることを祈りつつ、筆を置きます。ありがとうございました。
ストックホルムの街並みと共に
謝辞
本稿の執筆という貴重な機会を与えてくださいました、福岡工業大学工学部生命環境化学科の赤木紀之教授はじめUJAの皆様に、心より御礼申し上げます。また、普段からご指導くださっている東京大学大学院薬学系研究科の富田泰輔教授、KIにて受け入れてくださったDr. Per Nilsson、および今回の留学の機会をいただきました東京大学定量生命科学研究所の白髭克彦教授をはじめとするUT-KI LINKのオーガナイザーの皆様にもこの場を借りて深く御礼申し上げます。
著者略歴
栗山 摩衣(くりやま まい)
2022年に横浜市立大学 国際総合科学部 理学系(現・理学部)を学部総代で卒業。2024年に東京大学大学院薬学系研究科修士課程を修了後、現在博士後期課程に在籍。治療法の確立されていない病気を治せる病気にするべく、日々研究に邁進中。