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アカデミアから宇宙へ

イリノイ大学アーバナシャンペーン校

NASAジェット推進研究所

塚本 紘康


はじめに

京都大学工学部物理工学科、カリフォルニア工科大学宇宙工学専攻博士課程を経て、現在は、イリノイ大学アーバナシャンペーン校航空宇宙工学専攻Assistant Professor、NASAジェット推進研究所客員研究員を兼任しています。人類が宇宙を居住圏とする世界の実現のために必要となる理論、技術、知能を開発しています。子供の頃からずっと宇宙に行くことが夢です。


大学院留学に至るまでの過程、博士課程の様子、航空宇宙業界での就活の体験談は私のウェブサイトや友人のYouTube にて紹介しています。このような貴重な執筆の機会を頂いたので、ここでは繰り返しを避けるため、私がアカデミアから宇宙を目指すという決断に至った理由に焦点を当てて、これまでを振り返りつつ、二十代最後の年、今この瞬間考えていることについてそのままお話しします。


図1 先月Zion National Park でキャンプをしているときに考えました


日本からアメリカへ

子供の頃にスペースシャトルを見て以来、宇宙という領域、SF映画で表現されるような独創的な技術が当たり前に存在する世界に魅せられ続け、特に明確な理由もなく、NASAで働き宇宙に行くことを思い描いていました。宇宙開発の意義に関して、研究者として思うことは今でこそ数多くありますが、今回はその部分は割愛するとして、当時の自分にあったのはただただ知らないことを知りたいという気持ちでした。それに従って、全米で唯一大学としてNASAの研究所(ジェット推進研究所)を有し、理論、応用研究の両面で宇宙と密接なつながりのあるカリフォルニア工科大学へと進学しました。


図2 LA のディズニーランドでは私の大好きなStar Warsの世界が再現されています

図3 LA近郊にはたくさんの大自然も広がっています


理想と現実

カリフォルニア工科大学では、博士課程の学生でありながら宇宙開発に携わる機会が豊富でした。アメリカ航空宇宙系民間企業の技術開発プロジェクトや、NASA主導の宇宙ミッションに研究員として参加させてもらえるなど、思い描いていた以上の環境でした。それにもかかわらず、少しずつ研究成果も出始めた頃、理想の未来に着実に近づいているはずなのに、自分自身がやってきたことに少し違和感を感じました。その正体は、民間企業や政府が主導する宇宙開発において、自分の研究成果が全体の一部、歯車としてしか機能していないような感覚でした。このとき初めて、この瞬間まで追い求めてきた、宇宙に行きたい、知らないものを知りたい、NASAで働きたいなどの純粋に思えた理想の中には、暗に、その実現に向けて自分が先頭に立って進んでいたいという自己中心的な展望が常にあったことに気づきます。極端に言うなら、私の中には常に、正しいと思うやり方、進みたいと思う方向があって、それを他人に縛られず自由に追求できることを思いのほか重視しているという気づきです。

図4 幼稚園の頃の七夕の写真です


挫折と飛躍

私は博士課程の途中で、宇宙に行くという目標を諦めかけたときがありました 。この記事を書いた当初は、今まで積み上げてきたものが全て無意味に思えて、目の前が真っ暗になりました。人によっては小さな挫折に思えるかもしれませんが、この出来事は私にとって、人生の目標の解像度を大きく上げるあまりにも大きなきっかけでした。この経験をふまえ改めて、本当の意味で人類が宇宙を居住圏とする世界を想像すると、そこでは人間の身体的、精神的、時間的特徴に基づく制約はもちろんなく、卓越した科学技術によって人々が思い思いに地球を超え、宇宙という空間に生きています。そしてそこには、この世界に存在する既存の技術の積み重ねによっては得られない革新があまりにも多く存在しています。今のところは、それらの技術革新を一つ一つ、自分の手で現実のものにしていくことによってのみ、幼稚園の頃の私が直感的に言語化した、「スペースシャトルに乗りたいな」 という欲求に素直に従うことができるという解釈に、私の中で落ち着いています。これらの事実に正面から向き合ったときの少しの危機感、そして宇宙に行くことを諦めなくていいという抑えられない高揚感が、私の研究者としての理想を形作る原動力となっています。これはあくまで私の現時点での考えで、これから研究者、開拓者として名を挙げていく中で、より良い、より高い目標を掲げ、追い求め、達成し続けるつもりです。

図5 マルタを旅行した際の写真


アカデミアから宇宙へ

宇宙という文脈を離れて要約すると、私は、この世界に存在せず誰もまだ目をつけていない、しかし私の目標の実現においてはなくてはならない技術革新を、私自身が主導して生み出し続けたいという強い思いがあります。このわがままな構想に大胆に快く投資する組織こそ、利益を追い求める民間企業でもなく、国益を追い求める政府でもなく、新たな知を追い求める大学です。研究により革新を生み出し続けるという重い責任を負う代わりに、自由に自分のやりたいことに没頭できる環境がアカデミアにはあります。さらに、研究機関としての役割に加え、大学は教育機関として、生み出された革新的な技術、研究が誤解なく使われ、革新的な目的を達成することが日常となり、新たな知を世の中の人々が当たり前に認識する世界を築くという役割を担っています。研究、教育を通して、現状最も主体的に宇宙を目指し、根本的に世界の技術レベルの底上げができる、これが、私の性格と思想をふまえ、私の目標を達成する環境としてアカデミアを選択した理由です。


図6 学会でインドに行った際の写真 アカデミアでは学会などで旅行の機会もたくさんあります

図7 働き方がフレックスで思い立ったときに休みが取りやすいのもアカデミアの魅力です


近況

ここまでの話と少し矛盾してしまいますが、今、私はNASAジェット推進研究所で働いています。これは、宇宙探査には多くの場合莫大な資金が必要であるため、結局政府とのつながりが強く、NASAに蓄積されているノウハウを全く知らないままアカデミアで革新を生み出すことは現実的には不可能である、という戦略的な理由からです。これまでは主に、ジェット推進研究所元CTOのチームで研究しながら、彼らが生涯をかけて創りあげた宇宙開発のイロハを学んでいます。


同時に、イリノイ大学アーバナシャンペーン校での仕事も始めています。この記事 でもお話ししましたが、アメリカではAssistant Professorからいきなり研究室主宰者として、研究の方針と結果に関する最終決定権を持つことになります。その最初の仕事は学生のリクルーティングです。もともとは一人だけ雇って徐々に増やしていくつもりでしたが、数百人の応募があり、予想よりもはるかに優秀な学生が多かったので、つい最近、博士課程に進学する学生を三人採用しました。アメリカ航空宇宙トップスクールではこれぐらいの応募数が典型的だそうですが、正直初めてのことで大変苦労しました。またどこかでこの話も出来たらと思っています。強者揃いの教授陣を差し置いて、若造教授についてきてくれる大胆不敵な学生たちと一旗揚げます。


図8 NASAジェット推進研究所での勤務初日の写真です


今後

アメリカのAssistant Professorは起業家のような側面もあり、研究資金に加え、自分の研究室の学生、ポスドク、技術者の給料も基本的にはすべて賄う必要があります。そのお金はどこから来るかというと、ほとんどの場合は政府や民間企業なわけで、アカデミアでは自由に自分のやりたいことができるとはいったものの、社会の要求に寄り添わなければならない場面ももちろん多くあります。また、よく知られているように、研究、教育以外の仕事量も激増し、純粋にやりたいことに没頭できる時間が減るというのも事実として体感しています。このようなデメリット、それによって生じうるストレスをふまえても、現時点では、アカデミアで働くことにこの上ないやりがいを感じています。失敗しようと成功しようと自分の責任という性質が、私の性に合っている気がします。数年後振り返ったときに胸を張って同じことが言えるかどうか、これからの新しい挑戦が楽しみです。

図9 実はこの研究で宇宙工学専攻の最優秀博士論文賞をいただきました


おわりに

詳しい研究の話が一切できなかったので、少しだけ紹介します。私の研究室では、制御理論という、ものを自由自在、望み通りに動かすための法則を記述するための数学理論の開発を行っています。名前こそあまり聞きなじみがないかもしれませんが、自動車、飛行機、ロケット、ロボット、情報通信、資産運用、精密医療など、意思決定が伴うほとんどのシステムの基盤を構成しています。宇宙探査の枠組みにおいてももちろん幅広く使われているものの、その進歩は他分野に比べ非常に保守的です。複数の人間、宇宙機、ロボット、人工知能の意思決定が複雑に絡み合う次世代宇宙探査において、最先端の制御理論を開発し、探査システムと統合することが直近の課題です。興味がある方はぜひ研究室ホームページ をご覧ください。


著者略歴

塚本 紘康(つかもと ひろやす)

2017年京都大学工学部物理工学科学士課程修了。2023年カリフォルニア工科大学宇宙工学専攻博士課程首席卒業。イリノイ大学アーバナシャンペーン校Assistant Professor・NASAジェット推進研究所客員研究員。



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